水の精(ウンディーネ)と知人について

更新滞りすみません、

PCを立ち上げることができないとなかなか長文を記す時間を作れず・・・

タイトルにした水の精(ウンディーネ)はロンドンに来てから購入した電子書籍のうちの一作品です。

水の精(ウンディーネ) (光文社古典新訳文庫) [ フケー ]価格:880円
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作者はドイツ出身のフリードヒ・フーケで、ゲーテをはじめとし他作家たちから賞賛を受けた作品を生み出した作家なんだそうです。

がっつりとしたあらすじ等は他の方の文章を参考にしていただき、

今回はこの作品に登場する主人公のウンディーネと私の知人との共通点について書いてみたいと思います。

物語の序盤では天真爛漫なウンディーネですが、

あることをきっかけに人間の魂(心)を手に入れます。

知人との共通点はこの後者のウンディーネにあると最近ふと思ったのです。

かつて自分を愛してくれた人間が他の人へ心移りし、

それを激昂し責め立てることはなく。

ただまた自分に以前のように心を寄せて欲しいと懇願する、

非常に自己犠牲的な立ち振る舞いには、

読み進めていくのが辛くなってくるくらいに痛々しく、えぐられるような感情が続きました。

人間と精霊(妖怪)との婚礼(身分や立場があまりに違う関係)など簡単にうまくいくわけがないということを暗に示しているのでしょうか。

あの天真爛漫だった精霊であるウンディーネが人間以上の魂(心)を得てしまった故に、

人間の卑しく狡い感情にただ打ちひしがれていくなんて、

とても皮肉度と思いませんか。

私から見る知人は仕事でもプライベートでも、

自分<他人

のような徹底的に周りが過ごしやすいようなサポートしている印象があります。

しかしそういった献身的な態度が、

なぜか私の周りからは高い評価を受けていません。

いわゆる誰に対しても親切で優しく、

自己犠牲的なことにもマイナス思考にならず、

しっかりと気持ちを切り替えて積極性を持って取り組める人の何がいけないのでしょうか?

そんなのは出来て当たり前だという認識なのでしょうか?

たとえ自分が悪くなかったとして、

最終的には自分が悪かったと頭を下げれば相手は気が収まるから、と

大人しく謝罪することができる人が、

この世にどれだけ存在するのか私には見当もつきません。

ですがこういった誰かの自己犠牲の上に、

権力を持った人間の酷い仕打ちが横行しているのかと思うと、

とても遣る瀬無い気持ちになってしまいます。

この作品のラストでは、

ある人が精霊の世界の掟を破ったことで、

ウンディーネがその人の命を奪わなくてはならなくなります。

この世にそういった掟があったら、

簡単に人を裏切ったり、傷つけることなんて、

今のようには出来ないでしょう。

そんな掟がなくてよかったとホッとする人が、

いなくなる世の中になるにはあとどのくらい人間の魂(心)が、

成熟するのを待てばいいのでしょうか。

前提として幸せの尺度はその人自身が決めることです。

ある10以上年上の方が恋人や配偶者がいない人は不幸であると言っているのを聞いて、

私より長く生きているというのになんて考えの浅い人なんだ、とドン引きした経験があります。

他人があの人は(私よりも等)不幸であるなんてジャッジすべきではないですよね。

話を戻します、仮に今の状況にいる知人が幸せだったとして、

私はその知人が今よりももっと幸せに暮らせる日が来ることを、

心から願ってやみません。

ハム太郎のやつです。エンディングの。

そのマインドを忘れずに私も私なりの幸せを模索していこうと思います。

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